伝統医学の中心概念「養生」を現代に生かす
ー 生命の快法則に従った生活改革 ー
はじめに
今回のシンポジウムの報告者になる機会を与えられたことは、ありがたく、喜ばしい。素直に喜んだのは、私の提案している「快療法」のルーツを探る、良い機会にしたいと思ったからだ。日本の生んだ優れた医学者である森下敬一博士は、東西両医学の本質を究明して、「医の本流は自然医学にある。」と喝破し、東洋医学や自然医学を名指して、近代西洋医学の側から言われ、東洋医学や自然医学の側も、唯唯諾々(イイダクダク)とそれに従っている、「代替補完医療」という考えを痛烈に批判している。私も同意見だが、その自然医学の本質とは、治療法や医療技術ではなく、快い生命の法則に従っての生活の改革にあり、このことを最大のテーマにすべきもので、医や癒しの根源はこの事につきると言える。
一言で言えばヒトの生きるための最少責任行為である、息・食・動・想と環境を貫いて存在している、快い法則に順応した生活をすることだ。これによって病気を予防し、健康を取り戻し、さらには家庭の幸せ、国の安定調和や、世界や地球の平和や環境改善を目指すべきなのだ。この自然医学の本質の認識は、健康自立の運動にとどまらず、未来の快く生きるための世界と地球改革の具体的な実践哲学を生み出すことにつながる。この自然医学の根源に基礎をおいている快療法は、私自身が創案したものではない。自然医学、東洋医学の数多くの方法のなかから、なるほどこれは、生命の快法則を見抜き、具体化している優れたものだと、私が納得した物を選択して組み合わせたものだ。ことさら意識的にそうしたわけではないが、結果的に日本で独自の発展をした、特選品の組み合わせになっている。列記してみよう。
★ 禅の瞑想や武道、芸道の極意と組み合った呼吸法(村木弘昌博士ほか)
★ 快い方向に動いて身体の歪みを回復する、操体法(橋本(敬三医師)。日本古来の手当法の真髄である頭蓋と仙骨の手当法。
★ 食養法(石塚左玄・桜沢如一の系統の玄米正食。および衛生学者近藤正二の1000の村落の調査から導かれた長寿食のモデル。さらに甲田光雄医師の生菜食法によるソフトな断食法。)
★ 肝・腎・脾・胸腺という内臓の基本構造をととのえる温熱療法(多田政一博士、今沢武人家庭医学協会長)
★ 病気の判定法のLife Energy Test(大村恵昭博士のOring Testを土台にしたもの)
★ 尿健康法(これは世界中にルーツがある。内服と外用に種々の使用方法がある。)
尿健康法は日本独自ではないが、あとは日本人でなければ、こういう発想は出てこなかっただろう、と思われるものばかりだ。なお、甲田光雄医師と大村恵昭博士を除いて、他の方は皆亡くなられている。
これらを病気の予防や疾病の軽重に応じて、使い分け、人々に指導していくことになる。
それぞれはとても簡単で、どのような条件にも適応できる、自在な可変性を持っているものばかりだ。だから近代西洋医学との協働も可能だし、世界中のすべての人々や、あらゆる地域での、健康自立の運動や、地球環境改善運動に対応できる。現実に、ラテンアメリカ、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなど30ヶ国での実践がこのことを証明している。
こうした可変性や自在さというものは、よく考えてみると、日本文化の特質や、その核心を形作っているものに他ならない。
農工業、医療、宗教、政治、思想、風俗、芸能などあらゆる分野で、外来文化を呑み込み、混合し、消化吸収して来た日本文化は、快療法にも、その特質がみられるということかもしれない。
縄文時代という15000年以前から、日本では人々が生活していたといわれるが、その時代独自の医や癒しの歴史があったに違いない。これについて、しっかりとした見解を述べるのは、今後の私の仕事だと思っている。判明していることからだけでも、かなりのレベルの癒しの体系があったにちがいない。たとえば出土した骨の中には、骨盤に矢じりが突きささっていて、その矢じりを包みこむように骨が増殖しているものがあるそうだ。重傷を受けたその人を生きのびさせ、しかも骨増殖で矢じりのまわりを固定する年月、生きていたのは事実で、相当程度の介護や癒しのシステムが存在していたのではないかと思わせる。なかには明らかに骨を副木で固定したに違いないと思われる大腿骨も出土しているそうだ。ほかには慢性関節炎や結核で苦しんだ痕跡がある骨や、ポリオ(骨髄性小児麻痺)と診断される骨もあり、しかも手足の不自由なこの病者は、家族やまわりの人の介護で、20歳位まで生きることができたとみなされている。
縄文(ジョウモン)、弥生(ヤヨイ)時代に形成された医のシステムは和方(ワホウ)となって、現在の民間療法や民間薬の中に、その痕跡があるはずだ。快療法もそれと意識することなく、使わせてもらっているのかもしれない。
言い伝えでは秦の始皇帝(前206)の命令で、道士徐福(ジョフク)が、医師や百工技芸の官百数十名を伴って、不老不死の仙薬を求めて来日したといわれている。徐福伝説は日本各地にあるが、富士山麓の山中湖畔に没し、このあたりは今も道志村として存在している。私がしばしば山登りに利用する、東京から長野へ行く、中央線沿線の道志山系も、この伝説から来ているようだ。
やがて仏教伝来の時代となり(538年百済の聖明王が、仏像と経論を送る)韓国経由の韓医方が仏教とともに日本に伝来し、70年ほど遅れて(608年小野妹子が隋使裴世清らを伴い帰国)、遣隋使や遣唐使の往来がはじまり、直接中国からの漢方と、韓医方とが日本で一緒になり、さらには縄文・弥生の時代から伝承されて来た、日本独自の和方とが、混然一体となって、日本の伝統医学が形成されていく。
日本伝統医学の大きな流れのなかで、画期的な事件を追って2000年の歴史をたどってみよう。
公式の記録としては、414年韓国の医師金漢紀武が、81隻の船に土産物を持って来日し、時の允恭(インギョウ)帝の病気を治したとされる。その子の雄畧(ユウリャク)帝(478年)は百済に良医を求め、徳来(トクライ)医師が来日して、代々難波(大阪)に住み、難波薬師(ナニワヤクシ)として栄える。
538年の仏教伝来とともに、暦法・天文・医方などに熟達した僧や官が続々と来日、互いに交流して、学僧が医師を兼ねるようになり、以後僧医の時代は、1000年以上続いた。
伊藤真愚さんの『東洋医学の智恵』には、印度と中国の気候風土があまりにも異なることと、中国の道教的医方が、綿密な体系となっていることとで、仏教医学としては日本では体系化されずに、今日に至ったとしている。
仏教医学が果たしてどこで、どのように体系化されているのか、チベット医学は、たしかにその流れを受け継いでいるようだが、これも今後の私の課題である。
この後も引き続き、韓医方と漢方が、医師と多くの医書と共に入ってきて、以後明治までの1250年の長い間、日本の伝統医学は、中国医学が主流となった。
中国医学は、神仙の術、不老長寿、養生、薬物、鍼灸と医方全般にわたって発達している。これは道教をぬきには語れない。
道教は、福永光司さんによると、中国古来の巫術や鬼道を基盤として、墨家(墨子)や儒家(孔子)および老荘道家の思想・信仰・形而上学さらには中国仏教の因果応報・輪廻転生、解脱や衆生救済の考えを、重層的・複合的に取り入れ、随・唐・五代の時期に一応の完成をする。
道(タオ)-宇宙と人生の根源的真理-の宇宙や生命の根源との一体化を理想とする、漢民族の土着的・伝統的な宗教であると言う。
根本教典は「道蔵」(5485巻)が重要で、このなかには「黄帝内経」(素問・霊枢)や「千金方」が含まれている。
渡来帰化人は、道教の方術を医学常識としていたため、いろんな形で日本に広まり、浸透し、日本化していった。渡来文化全般の中で、道教の影響を最も強く受けているのが日本の伝統医学のようだ。
701年大宝律令が制定されて、日本国家の医学制度として、鍼博士、按摩博士などが定められた。
984年に、現存する最古の医学成書が、丹波康頼(タンバノヤスヨリ)によって編まれた。この『医心方(イシンホウ)』30巻には、「道蔵」から多くの引用がなされている。
日本伝統医学は、道教の基本理念である<養生>を、東洋医学の理念としてはぐくみ、発達した歴史を持っている。
この養生の理念は、江戸時代(1603~1867)265年間を通して、磨き上げられた。とくに儒学者・本草学者で医学も学んだ貝原益軒(1630~1714)の『養生訓』(1713)が有名で、現在でも多くの現代訳書が出版され、広く読まれている。
私も若い頃読んだが、幕藩体制の支配原理となっている、儒学・朱子学の匂いに閉口して、投げすててしまった。が今回読み返してみて、83歳の人生経験と、医術の勉強を踏まえての記述に、なるほどと納得するところが多い。
なかでも、天地・父母から受けた大切な身を持ちながら、これを保つ方法を知らないで、身を持ちくずして大病となり、まだまだ生命の寿命がたっぷりあるにもかかわらず、早世するのは、まことに愚かなことで、天地・父母に対しての大いなる不幸であるというところなど、常日頃痛感しているだけに、納得できるものだ。
さらに養生の目的は、人生の三つの楽しみ――善を、快く、長くひさしく楽しむ――を果たすためであるというところなど、私の提案している「快の哲学」に通じるものがある。
とくに注目すべきなのは、江戸時代に醸成された、幕藩体制の支配原理を乗り越えた、革新的な思想、思想家たちの存在である。なかでも武士を捨てて、農民となった中江藤樹(1608~1648)と、医師安藤昌益(1703~1762)から、私は大きな影響を受けているが、その一端は後で述べる。
明治維新(1868年)の成り立ちは、江戸期に醸成された革新思想と、幕藩体制との葛藤さらには鉄砲伝来(1543年)ザビエル来日(1549年)以来400年間つづいている、欧米の日本植民地化のたくらみとの、壮絶なからみ合いをぬきには真実の歴史は語れないはずだが、この歴史の重大問題は秘匿され明らかにされていない。
明治8年(1875)突然の「近代医師ノ試験ニ合格セザレバ開業スルヲ得ズ」という法律改正で、1500年続いた日本伝統医学は絶滅の危機におちいった。こうして全ての重要な日本文化が、ヨーロッパ・アメリカ化されていく背景には、明治の出発が、いつわりの歴史ではじまったことと、深い関係があるのだが、今はこれには触れない。
明治の激動期も、敗戦時の占領軍の医療政策の激動期も、わずかに心ある医師、治療師たちの必死の努力で、伝統医学は守られて来た。
この10年間に、アメリカ・ヨーロッパの影響もあって、日本では多くの人々や、行政の一部に、東洋医学・自然医学への関心が、急速に高まって来ている。なかには医療の改革を、真剣に考える人たちも増えて来た。
しかし私には、医療の本質的改革には、まだ一歩も踏み出してはいないと思っている。
近代西洋医学に失望したり、不信をいだく人々はたくさんいるが、ほとんどの人たちは、優しい、納得のいく、もうひとつの頼りがいのある医療を、求めているにすぎない。
これでは複雑にからまり合った、難症病の脱出路は、見えては来ない。
厚労省や医師会も、やっと予防医学の重要さを言いはじめてはいるが、結局は病気の予防と称して、血圧や血糖値の基準値を低くして、必要のない人々にまで、薬や健康食品を投与している現状がある。そして人々もそれを服用することで、病気の予防になっていると信じている。さらには「遺伝子検査」を、健康管理に活用するクリニックも出てきている。
病気の予防の根本が、息・食・動・想・環の快いバランスを図ることにあることが、忘れ去られている。健康自立の精神が、病者も医療側も、あまりにも希薄だ。
多くのガン病者を診ていて、ガンになるのは、4つの原因がある。これについては先日、免疫学の安保徹教授と話していて、ぴったり意見があった。これは医学的というより、社会的要因だろう
1) 忙しすぎ。これには運動のやりすぎも入る。
2) 気の使いすぎ。強制的に気の使いすぎをやらされている。
3) 食べ過ぎ。TVなどのマインド・コントロールで、つめこまされている。
4) 飲み過ぎ。アルコールはもちろん、医薬品や健康食品の摂りすぎも入る。
こうした病気の原因を、毎日の生活のなかで是正することの重要さが、欠落している。
「読み書きそろばん」とよく言うが、生きていくためには、欠くことのできない最低の知識だ。読んだり、書いたり、加減乗除の計算ができないと、社会生活はできない。本来はそれよりもっと大事な「生命の読み書きそろばん」を、大多数の人はまったく知らないで、生きている。息・食・動・想・環の快い生命の法則こそ、生命の読み書きそろばんであり、養生の基本だ。
医師や治療師の、ほんとうの役割は、この養生の基本を指導し、病者の歩むべき癒しの路を、的確に指し示すことにあるはずだが、これがほとんど、機能していない。
改めてこの養生の根本に立ち帰って、前述した4つのやりすぎを強制している、社会的規範の根本を変える必要がある。いまいちど、お互いに「生命の読み書きそろばん」を学び合い、それを子供たちにしっかり手渡していく、新しい社会の規範を、社会的教育システムをつくらなければならない。
そして新自由主義やグローバリゼーションという世界的津波が引き起こしている、深刻な不快現象をはねかえして、生命を守り育てていく、快への方向転換を図る、智恵と気力を持つ必要がある。
江戸時代(1603~1867)に形成された、革新的な養生の思想をたどることは、この切迫した現在の課題に役立つはずだ。
国立筑波技術大学・保健学科で「鍼灸社会学」という、新しい分野を開拓している形井秀一教授に、日本の伝統医学が、庶民のレベルまで定着していったのは、いつ頃であるかを、たずねてみた。私の予想通り、それまでは貴族や武士階級のための伝統医学だったが、江戸時代になって庶民のなかに入って来たのだという意見だ。それには理由がある。社会の基礎を作る、独立自営農民(本百姓)の成立だ。
戦国時代(1467~1568)に日本の農村の事情は一変して「農村自治」のかたちとなり、これを背景に、江戸期の本百姓が生まれてくる。
こうして庶民の余裕をベースに、お金をもらって医療に専念する医師階級も生まれて来て、伝統医学は庶民のなかに定着していった。
石川謙博士の研究(『日本庶民教育史』)では、1660年代に、全国234藩のうち120藩が、庶民の藩校への入学を許している。正規の藩校の他に、寺子屋(読み書きそろばんを教える私塾)は全国いたるところに普及した。
当時の日本の庶民の教育レベルは、世界最高といわれ、支配者の言いなりにはならない、主体性を身につけていた。中江藤樹や安藤昌益などの、先進的革命思想を支持する層は、だんだんに広がりと深みをもって、明治維新を用意していった。
今回ずいぶんお世話になった、太田龍さんの『中江藤樹 天寿学原理』によると、中世封建社会は、日本と西ヨーロッパにしか生まれなかった、というのが現代歴史学の結論だそうだ。双方とも、小さな農地を治める武士身分の、地方分権的小国家の連合で、小国間の商業から商人階級が発達し、近代ヨーロッパに資本主義社会をつくり、日本でも室町時代(1392~1537)から江戸期にかけて、独立自営農民の力をかりて、商工業階級が力を持ってくる。
一方アメリカを征服し終わった、ポルトガル、スペイン、オランダの商船隊・艦隊が、宣教師を伴って、鉄砲・大砲を持って、日本列島にやって来るようになる。
1543年ポルトガル船が種子島に鉄砲を伝えた。ポルトガルでは、日本発見の年としている。そして1549年にはイエズス会の首脳フランシスコ・ザビエルがやって来て、九州平戸や山口の布教で、短期間に西日本にキリスト教が広まり、人口の10パーセントが改宗する。直接個が神とつながるキリスト教の教えは、それまでの仏教や儒教の権威を無にするものを持っていた。そしてキリシタン大名たちは、爆薬をつくる硝石(日本には産出しない)を求めて、暗躍する時代となった。
江戸幕府の開祖徳川家康は、ヨーロッパ列強の日本植民地化のたくらみを、察知して、切支丹禁制と鎖国を断行する。切支丹信者を改宗させ、しないものは殺す。全国民を強制的に仏教徒にして、住職はその信仰監視役にした。
そして当時、全世界の鉄砲の合計数より多いといわれていた、数十万丁の鉄砲と、外洋船舶の製造・使用数を、ほとんどゼロにする大軍縮を強行した。対外戦争も、対外経済進出も国禁にした。
家康たちは鎖国とともに、日本をより強固に、中国文化圏に位置づけることにする。心理的安全保障だと、太田さんは言うがよく分かる。
そして必然的に幕府の政治は、儒教が基準になる。キリスト教ヨーロッパの防護策として、儒教が全国民に布教していく。
近江(滋賀県)の安曇川町(アドガワチョウ)に生まれた中江藤樹は、武士の祖父に見込まれて、鳥取(トットリ)の米子で武士の見習いをする。やがて移封とともに四国伊予に行き、大州(オオズ)藩につかえる。農民の父は死に、母親ひとりになったため、27歳で無理矢理に脱藩して、故郷に帰り、農民との生活のなかで、藤樹の思想は、煮つまり、成熟していく。
中江藤樹が革新的と言われる、その最大のポイントは、天(皇上帝)とつながりを持てるのは、皇帝のみだという、儒教の最大のテーマを疑い、天(皇上帝)は、万民・万物の親として、万民が祭るべきものだと考え、中国式儒教の全構造をひっくり返す、大飛躍をやってのけたことだ。そこから天子さまは天皇をさすが、天皇のみならず、全ての人間が天の子であり、天子、天子さまなのだという、革命的平等思想が生まれて来た。
幕府がしだいにきびしい監視と圧迫を加えるようになったのは、当然だろう。藤樹の高弟の熊沢蕃山(クマザワバンザン)は、3000石取りの池田藩(岡山)の中枢で、仁政を行っていたのだが、幕府は藩主池田光政に、蕃山追放を要求し、39歳で辞職させられ、晩年は幕命で古河(茨城県)に幽閉され、そこで没した。
中江藤樹は、万民ひとりひとりが天とつながりが持てると考えたことで、儒学の全構造をひっくり返したわけだが、ではどうやって天の意志――私は宇宙の慈悲・宇宙の真理などと言ってるが――を認識するのか、天の意志にそって生きていくにはどうすればいいのか。
藤樹の答えは、体験すること、自ら行うことにつきると言っている。「万物一体の仁」を体験する。法華経の説く「菩薩行」だ。
ではどうやって体験すればいいのか。このいちばん大事なこのことは、いろんな本を読んでみても、いっこうにはっきりしない。誰もが具体的にこうすればいいとは言ってくれない。いつも神秘のとばりがおおってしまう。私にはふと手をのばせばそこにある、しっかりと掴むことのできる「生命の真実」「宇宙の真理」が存在しているのだと断言できる。
すべての生あるものに、先天的に備わっている生命の智恵、これを「良知」というらしいが、この良知を働かせて、気持ちのいい方向を察知して、心と身体を、快方向に持っていけば、どんなにらくらくと解放されることか。そして具体的に掴まえた、この天の意志を、周りの人々に教え、体験させること、これは即ち菩薩行といえる。
操体法や尿健康法などが内に秘めている、生命の真理に、何気なくふっと接してみれば、そこに天の意志があることは、多言を要しないことだ。
すべての存在の快くありたいという願いを聞き入れ、この世界を楽しく、生き生きとさせて生きたいという天の意志は、確かにここ、皆さん方の手中に足元にある。これに感応する生あるものに本来備わった、生命の智恵(良知)を動かすことは、決してむずかしいものではない。釈尊が難行、苦行を否定している本意はそこにある。
中江藤樹は、儒教の五常(仁、義、礼、智、信)の根底には、孝があることを教えた。そしてこの宝が生まれつき備わった人を、聖人と言った。そして、この孝の道は、あまりにも広大な道であるから、誰でもが到達できる道で、貴賤男女の別なく、幼い者も老いた者も、みな守り行うことができると説いた。
身近で切実な道徳であるから、どのような愚鈍な下々の男女でも、親の膝もとを離れぬ幼子でも、よく知り行うことができると言う。
なるほど藤樹も釈尊と同じく、生命の快い法則が、幼子から一個のバクテリアにまで貫きとおって存在している宇宙の慈悲を、よくよく思い知っていたとみえる。
藤樹は、理想の教育者としての評価も高く、子供の教育についても、子の願いのまま育ててしまうのを「姑息(コソク)の愛」(その場のがれの溺愛)「舐犢(シトク)の愛」(なめまわして育てる)で、慈愛のようではあるが、才も徳もなく、鳥獣と同じようになるので、結局は子を憎んで、悪い道へ引き入れるのと同じだと言っているのにも、感服する。
中江藤樹が到達した、究極の境地は四組の親、四段階構造の親がいるという説で、庶民にはとても判りやすいものだった。
1)人は両親から生まれる。
2)両親を生んだ親、そのまた親と、さかのぼると、ご先祖という親がいる。
3)このご先祖は、どこからうまれたか。天地(お天道さま)から生まれたに違いない。
4)この天地、お天道さまは、どこから生まれたのか。藤樹は大虚(全宇宙)から生まれたと考える。そしてこの四組の親への孝行と報恩をまっとうしなければ、人倫の道は果たせないと説いたのだ。
凄いものだ。現在のエコロジーの到達目標のはるか先を歩んでいる感がある。
この究極の人倫の道の全構造を動かしているエネルギーが孝なのだ。孝のエネルギーは多次元で、全宇宙を経回(めぐ)って旋回していく。
しかし天地、大虚への孝などと言われると、昔の人はピーンと了解できたのかもしれないが、今の私たちには、了解不能なところがある。ご先祖への孝、両親への孝は、納得できるが、現在はこの次元も、減茶無茶な荒廃がある。
親が悪いのか、子が悪いのか、教育が悪いのか。社会の対応全てが悪いのか。人倫の道へ至る全てのものが、破壊つくされようとしている現在、養生の根本へ立ち帰って、まわりの人と手を取り合って、一歩一歩、歩み直していく他はない。
それにはまず、私自身への孝をまっとうすることだ。これは日々の快法則の実践で、養生の根本をふみおこなうことだ。私自身が生き生きとした楽しい生活ができなければ、全てのエネルギーはとどこおってしまう。
ニッコリと愛嬌(あいきょう)を持って、私につかえ、親につかえ、子につかえ、先祖につかえ、子々孫々につかえ、天地(太陽)への孝、全宇宙への孝をつくすのだ。
このエネルギーの循環が順調に行われていれば、宇宙の秩序は保たれる。真の学問、真の倫理、真の宗教、真の政治とは、この孝のエネルギーの循環につくすことにつきる。
中江藤樹の革新思想が、とくに明治以降、圧倒的な人々の支持を得て、展開できなかったのは何故か。私たちはこの点をしっかり考える必要がある。
一つは、明治維新の不徹底さだ。ザビエル以来400年続いている、ヨーロッパ列強の日本植民地化の、ワナにはまってしまった。そしてヨーロッパ列強の物まねをして、アジア近隣諸国への不孝の罪を重ねてきた。
二つは、藤樹の思考の不徹底さにある。祖先への孝の、祖先のとらえ方に問題があると太田龍さんは言うが、確かにその通りだ。
一つめの問題は今回は語らない。二つめの私たちの祖先は、ヒトだけの関係ではない。微生物であり、動植物界であり、地球生物全体社会だ。そして地球のあらゆる全存在の慈愛につつまれて、このいのちあふれる星で生きている。
私たちが犯している、地球生物全体社会への「不孝の罪」への批判がない。儒教では人倫の道は説くが、微生物や動植物への孝行をつくせとは全く教えない。藤樹には、儒教のこの欠陥の批判がない。これが越えられないと、第三のお天道さまへの孝行もきれいごとになり、全宇宙への孝行も、雲をつかむような話になってしまう。
ここのところを乗り越えていくのも、自らが課す自身への孝行=養生を徹底してやることにつきる。
たとえば食事を徹底してコントロールする。このことが、人生の楽しみになるまで徹底する。あるいは奪うばかりで、自分のいのちを誰に与えるのかを考えることすら忘れてしまった、人類の地球生物全体社会への不孝の罪に対しての、せめてもの罪ほろぼしのつもりでもいい。
肉食を止め、乳製品を止め、砂糖を摂らず、一物全体を徹底する。そして最低50回は噛んで味わう。すると味覚が錬磨され、物のおいしさを、とことん味わいつくすことになる。
これこそ食べ物への孝、微生物への孝、動植物への孝行と報恩へとつながり、地球生物全体社会への孝行の、ひとつの小さな第一歩になるのではなかろうか。
水野(みずの)南北(なんぼく)という、江戸時代後期の有名な観相家のエピソードは興味深いものである。若い頃、鍛冶屋を業としていたので鍵屋の熊太と呼ばれていたが、酒とバクチと喧嘩口論にあけくれ、20歳の時入牢して釈放された直後に、大道易者に、一年以内に釼難に会うと予言された。助かりたい一心で、禅寺に入門を乞うと、和尚は「一年間米飯を口にせず、麦と大豆で過ごせば入門を許す」と言われ、それを守ったところ、釼難の相は消えたそうだ。これを転機に、悪党熊太は相法(人相、地相、家相を観て吉凶を占う)の修行をして、京都で観相家となって、門弟数千と言われた。
南北は、食を慎み、陰徳を積むことによって、己(おのれ)の運命は変えられるのだと、人々を説得した。南北は人相、手相ことごとく悪くて、生涯困窮の相であっても、忠孝、陰徳、節倹、明理の心を持った人は、必ず天理に適(かな)い、天の助けを得るものだ。いかなる悪相も、善に変わると言いきっている。
これも凄い。自らの体験(南北はすごい悪相だった)から発していることではあるが、ここには自然の真理、宇宙の慈悲を、しっかりと見つめている眼力がある。天地自然の根源を見抜いている、大いなる神性がある。万人をいつくしむ心がある。
現代の遺伝子診断がおち入りかねない、決定論的な運命観とは対極にある、変幻自在な宇宙的生命観を、この人は掴んでいたようだ。
忠孝とは、時と場合によっては、他者(人間だけではない。すべての生あるもの、すべての存在)のために、自らの生命をさし出して、宇宙の大虚のなかで、無になることだ。このためには、つねに養生の根本を問い正し、体力、気力を充実させておく必要があろう。
陰徳とは、思わず知らず、心と手が動いて生命の危急を救い、優しく抱きしめること。人知れず、すべての生命への孝をつくすことだ。まずは自分自身の微生物、腸内細菌への孝、腸内微生物の快的条件を考え、実践することだ。
節倹は、できるところからはじめて、エネルギーの無駄遣いをしないように心がける、生活のルールを実践することだ。人類が肉食を半分に減らすだけで、環境汚染は半減するだろう。肉食を全廃するとどうなるか、考えてみてほしい。
そして明理とは、自身への孝から発し、全宇宙への孝へと至る道を、きちんと踏みおこなうこと。具体的には、息・食・動・想・環の快い法則に従った、快生活実践の理を見通し、実行することだ。
水野南北が宇宙の真理、生命の真実を見抜いていたことは、養生の根本に立ち帰っての生活の改革を実行した病者達の多くの症例が、それを証明している。
私の臨床現場はもちろんここと、中南米やアジア、アフリカでの私たちの仲間達の実践、そして癌の自助組織である「ガン患者学研究所」(川竹文夫代表)や「いずみの会」(中山武代表)の実践結果が、「食を慎めば運命は変えられる」ことの確かな証拠だ。
さらには森下敬一博士の「肉食亡国論」や、甲田光雄医師の提案している「生菜食法」の実践まで視野に入れると、「地球の運命を変える」ことさえ、不可能ではないはずだ。
地球の生物全体社会では、生態系の親である、微生物と植物がつくってくれた食物のエネルギーを元手にして、動物たちの生命のやりとり(食(は)み合いの法則)が行われている。
人類は、集団で狩りをするようになってから、この生命のやりとり=自然の食律から飛び出してしまった。農耕文明と、家畜制度を発達させたことで、ついには、奪うばかりで、自分の生命を誰に与えるのかを、考えることすらできなくなってしまった。生命をはぐくんでくれている、「生物全体社会」への、甚大な不孝の罪を、犯しつづけているのだ。
現在の世界の難問や地球環境の危機は、このところに全ての真因がある。殺した生命は全ていだだくという、一物全体食や玄米食は、人類のこの不孝の罪へのせめてもの罪ほろぼしであるのだ。
私自身の実践は未だ道遠しだが、数多くの病者の症例を見ていて判ることは、快法則を学び、それに従っての生活を実践することで、ヒトの心と身体は大きく変わっていく。
精神的、霊的にも、大いなるものへの感性がたかまり、大虚(全宇宙)の大親御との交流もはじまるようだ。
これは今後の医学とくに免疫学、生物学、心理学、宗教学の各分野からの学際的研究がなされていくべきだ。エサを30%少なくしたら、50%長く生きたなどという、低次元の研究レベルですまされる問題ではない。
研究者自らが実験素材となり、心をつくし、智恵をつくして、「人類の不孝の罪」をどうすればつぐなえるのか、地獄からの脱出路をどうすれば見つけられるか、についての大いなる目標設定をして、研究をはじめる必要がある。
儒教の根底を引っくり返し、陽明学も乗り越えた、中江藤樹は、天道の神理(宇宙の真理)にそむくものは、にせものの学といい、その筆頭に幕府の教学の中枢にいた、林羅山をあげている。そしてすべての人は天の子、天子さまであるとして、幕藩体制の身分制度を真っ向から批判した。
この藤樹の思想をさらに豊に実らせ、18世紀の百姓一揆が激発する社会的要因をつくっている、幕藩支配体制の根底的な批判者として、医師安藤昌益(1703~1762)が現れる。
昌益は大館市仁井田の豪農の家に生まれ、40歳までの経歴は不明で謎に包まれている。資料に出るのは、八戸十三日町(青森県)で医師として一家をかまえてからである。
昌益は抑圧された独立自営農民の目でこの世の真理を洞察した。
儒学、仏教、神道などの伝統的教学がすべて人間をしめつけ、欺瞞する思想であり、階級支配の道具にすぎないことを見破り、権威の呪縛を断ち切り、階級制度そのものを廃絶する、「天下の大道」を追求した。
全存在を運動の過程としてとらえ、運動の原動力を、その事物の内にある自己運動であると考え、「(「)自(ヒト)り然(ス)る自然(しぜん)」と呼んだ。
万物を対立物の統一としてとらえ「天地ニシテ一体、男女ニシテ一人、善悪ニシテ一物、邪正ニシテ一事、凡(すべ)て二用ニシテ一真ナル自然ノ妙道」といい、二つのものの相互転化を「性ヲ互ニス」と記し、この矛盾関係を「互性(ゴセイ)」と名付け、その有機的運動を「妙道」と呼んだ。(寺井五郎「ずば抜けて時代を超えた思想家」『安藤昌益全集』解説より。)
天地の生成運動と、生物の生存活動と、人間の生産労力とを一緒にして「直耕(チョッコウ)」と呼び、この直耕の過程にある諸要素が有機的に調和している状態が「自(ヒト)り然(ス)ル自然」だとする。
天地の運行と人身の活動とが、調和した状態「天人一和」が、自然の本来の姿であって、人間のなすべき道は直耕のひとすじであるという、農耕の哲学が生まれる。「直耕スルハ天子ナリ」直耕は万民がやるべきもので、農に寄生する武士階級は不要で、徳川家康は大罪人であると言い切っている。
病気のとらえ方も、天地と人身の直耕の過程にある諸要素の、有機的バランスが偏(かたよ)り乱れた場合が病気である。そこからこのアンバアランスを回復するための、自然治癒力に基づいた生活の見直しが要求される。この日々の生活の見直しである養生こそ、「直耕スル天子」としての、礼儀作法だといってもいい。
医業とは、自然治癒力「元真(ガンシン)」の働きを助けて、それを活性化させることである。過剰な投薬や作為的な治療に反対する、自然療法の主張が生まれるのも、当然である。
「薬ヲ用イザレバ速ヤカニ全(イ)ユ。虚病ノ病者、薬ノ為ニ軽病ハ重病トナル、重病ハ日ナラズシテ死ス」はまさしく、安保(アボ)徹(トオル)教授の『医療が病いをつくる』を読むようである。
昌益は自然の営みが天人一和していれば、つまり自然と社会の環境が、快く調和していれば本来病気は絶無で、妄欲な権力者「聖人(セイジン)」があらわれ「不耕貪食(ドンショク)」を始め、それをひろめたために自然のバランスが乱れ、臓腑の偏りや精神の歪みが生じ病気になると主張している。
昌益の医学は産婦人科と小児科が最も重視され、当時の水準をはるかに抜いた、レベルの高いものであったようだ。生命の発生と育成が医学の中心であるという思想だ。
もうひとつ重視されているものは精神病(乱神病)で、当時は追放するか押し込めるか医の対象にすらならない時代に、昌益は24種に分類し、それを引き起こす病根があるのだと説いた。主因は社会にあるとして、「自然ノ道ヲ明ラカシ、私欲ノ妄想ヲ去ルトキハ、自然自然ニ正情・正神・正相トナルベシ」とその治療の可能性を主張した。
昌益の医学の根本は予防医学である。「未病ヲ治シ、天下ノ人ヲシテ病苦ヲ知ルコト無カラシム」ということばは、伝統医学を全面的に批判しながらも、そのもっとも重要な中心理念は、きちんと継承している。
安藤昌益は、人類の太古に「万万人ガー人」のごとく、全員が耕し平等に暮らした共同体社会があったと想定し、これを「自然世(シゼンセイ)」と名付けた。
昌益の「自然」には――
1) 全存在の「自リ然ル」自己運動性。
2) 作為人智の加わらぬ、天然自然の意。
3) 権力のない、上下、貴賤、貧富のない無階級社会。
この三つの意味が込められている。
この自然世を破壊したのは誰か。それは王であり、君であり、権力者であると言う。
「君ヲ立ツルハ邪悪ノ本(モト)ナリ」と喝破した昌益は、支配階級とその代弁人ヲ「聖人(セイジン)」と呼ぶ。
聖人とは万人の手本であり、万人を治める絶対的権威者であり、尊敬の対象であった時代に、聖人を「世ノタメニ大敵ナル者」と断じ「タダ刑スベシ」とその打倒を呼びかけた。「聖人ハ不耕貪食(フコウドンショク)シテ、私ニ立チテ天下ヲ押掠(オウリャク)シ、天道(テンドウ)ヲ盗ム」と断罪する。現実社会は昌益が言う通りだ。
支配階級と、その代弁者たちは、他人の労働を盗んで生活をむさぼり、私欲のための支配管理機構をつくり上げ、社会全体を自分のものにして、人間本来のあり方を、荒廃させていると、まさしくその通りではないか。中江藤樹の不徹底さをつき抜けた、見事な思考である。
昌益によれば、人身破壊(病気)も自然破壊(災害)も、みな聖人の罪だ。すべての天災は聖人がつくり出した人災で、聖人のつくり出したこの現在の社会が、本来は健全な人身(心とからだ)を傷つけ狂わせて、すべての病気の素因をなしている。
この聖人に対立する者は「直耕ノ衆人」であり、農民、庶民なのだ。「真ノ仁ハ直耕(チョッコウ)シテ、徳ヲ天ニ同ジクスル者ニシテ、是レ衆人ナリ」 まことの仁愛は、農耕をして天の与える徳と同じ物を作り育てる、勤労農民が生み出すのだと、直耕の衆人を尊び、「直耕スルハ天子ナリ」「衆人ハ天神ナリ」とたたえ「真人(シンジン)」と呼んだ。
男女と記して、ヒトと読ませた昌益は、恋愛結婚を自然なるものとし、仲人をしりぞけ、女性の再婚の自由を説き、廃娼を主張した。
安藤昌益の思想は、明治以降の嘘いつわりと恥辱の歴史に汚されることなく、現在ますます大きな輝きを発している。これを私たちがどの様に受け継ぎ、深めていくのかを、世界史的視野から検討していく必要がある。なぜなら現在の危機をのりこえ、これからの人類が、未来の「自然世」へとたどる行程に、きわめて有効な指針を与えてくれる羅針盤であるからだ。
伝統医学の核心的理念である「養生」の本質が、孝の原初的形態である自分自身への孝であり、「直耕スル天子」として、他者へ至る道程の礼儀作法だということは、お判りいただけるだろうか。
この養生の本質の理解は、人類と地球の破局的危機を乗り越えるという、最も大きな現在の課題に応える、必要不可欠の条件だといえる。
そこでこの養生が持つ意義と、その現代的可能性を探ってみよう。
1)人類太古の、差別もなく、階級もなく、権力もどこにも存在しない自然世を研究し、これに学び、これからの未来の自然世をつくるためには、私自身から大虚(大宇宙)へ、さらには子々孫々へ至る、循環するエネルギーである孝の道をきわめることが、人たるものの道となる。
2) 人たるものの道、孝の道をきわめるためには、狩猟と農耕文明をつくり出した人類が、生物全体社会(微生物、動植物)と全ての存在に対して、「不孝の罪」を犯しつづけていることの、自覚と反省が絶対的に必要である。
3)人類が犯しつづけている不孝の罪への自覚と反省は、まず私自身の不孝の罪の自覚と反省からはじめなければならない。それにはまず、私自身の微生物(腸内細菌および皮膚粘膜の共生菌)に対しての、不孝の罪を詫びることからはじめるのが、最も確実な天道(誰でもが納得できる普遍的な論理と倫理)にもとづいた行為となる。
4)私自身の微生物に詫びることとは、すなわち私自身の微生物への孝の道をつくすことである。腸内細菌とその他の共生菌に対して、もっとも望ましい、微生物の喜んでくれる、快適条件をととのえることだ。
5)微生物のもっとも望ましい快適条件とはなにか。腸内には数百兆個の100種以上もの微生物の菌叢(フローラ)が、お互いに関係し、交流している複雑な社会だから、一言では云えないが、確実なことはいくつかある。
6)確実なことの一つは、宿主が死んでいなくなれば、腸内細菌は存在できなくて、困るわけだから、微生物への孝をつくすのは、自らの腸内細菌叢の快いバランスをととのえて、宿主も快く、腸内細菌にも快いバランスとは何かを考え、実践することだ。
7)「腸内細菌学」を確立した光岡(ミツオカ)友(トモ)足(タリ)さんの研究によると、母乳栄養児では、有用細菌の筆頭のビフィズス菌が、全菌叢の95%~99%をしめるそうだ。まさしく母の慈愛である。離乳食を摂るようになると、成人のパターンに近づいてくる。
幼児から成人までは、バクテロイデス、嫌気性レンサ球菌、クロストリジウムなどの、嫌気性菌群とビフィズス菌とが互いにバランスをとっている。有害菌のウェルシュ菌、ブドウ球菌はきわめて少ない。
それが老人になると、しばしば腸内フローラのバランスが乱れて、ビフィズス菌は少なくなり、ウェルシュ菌がふえてくる。ところが長寿村綱(ユズリ)原(ハラ)の平均84歳の高齢者を調べると、ビフィズス菌が多く、ウェルシュ菌は少なくて、若々しい腸内フローラであることが証明された。雑穀類、野菜、イモ類の食生活で、食物繊維の大量摂取によることは明らかだ。
ここでパプア・ニューギニア高地人の食生活を考えると、1日イモ類1120 gで動物性タンパク質はきわめて少なく、28 gといわれるが、他の研究書では、それも1ヶ月に何回かしか摂っていない。にもかかわらず筋骨たくましく、山野を駆けまわっている。
甲田光雄医師の「生菜食法」実践者(青汁ニンジンおろしなど1日1?の野菜と140gの生玄米粉880kcal)と同じく、腸内細菌が空中窒素を固定して、タンパク質を合成するようだ。
パプアニューギニア高地人の腸内フローラを調べると総菌数は日本人の10分の1と、いちじるしく低い。日本人、欧米人と全く異なり、腸内にいたバクテロイデスが死滅して、その菌体タンパク質が宿主に利用されていることが推測されるそうだ。甲田式生菜食法の実践者たちも、おそらく菌体タンパク質を利用しているにちがいない。
8)殺した生命を全部たべること(一物全体)は、もっとも確実な、食べ物への孝行の第一歩だと思うが、腸内に入って来た食物を食べて増殖し、死んでいった腸内細菌の死骸をも、無駄には排出せず、その菌体タンパク質を食べるというのは、私たちと共生して、外来毒素や外敵と闘ってくれた、私の同志である腸内微生物への報恩と感謝の、壮大なる孝の作法だといえる。
9)人類65億が、この報恩と孝の作法の、現代的意義を理解して、それぞれが自発的に率先して食養生を実行することになれば、現在進行中の破局的危機に、ストップをかける可能性も出てくる。
10)なによりも、自身の微生物への孝行は、自らの健康をとりもどし、老化を防ぎ、運命を変え、世界と地球の運命をも好転させることになる。
皆さん知っていることばかりだと思う。もしも新しさがあるとすれば、ヒトのやる生きるための最少責任行為(どうしてもやらなければ生きていけない仕事)に、気持ちのよい、快い法則が貫かれているという、この一点だ。この生命の快法則についての、最も大事なポイントを説明していこう。
ヒトには、生きるための最少責任行為として、息・食・動・想の4つの仕事がある。この4つの仕事を通して、環境に適応した「生きるための生活」をしている。
環境とは1)空気や光や水などの物理・化学的なもの2)ヒトと他の生物との関係の、生態系3)家族や学校、職場などの人との関係の場の3つの次元がからみ合って、環境をつくっている。
息・食・動・想と環境。この5つの因子を貫き、やさしく包みこんで、生命の快法則が存在している。
5つの因子の、快いバランスを図ることが、自分の健康はもとより、家族の幸せ、国や社会の安定調和、世界の平和や地球環境の改善など、全ての問題・難問が、快方向に向かうキーポイントである。
不安や恐怖に陥ると、私たちは無意識に吸いすぎて酸素を取り入れすぎてしまう。活性酸素の産生も増大する。だから気がつけばいつもニッコリと息を吐くことを心がける。カラオケ、コーラス、読経、大笑いと吐くあことを1日中やっていく。
左図は島田彰夫氏による、霊長類の進化の流れと食性の変化だが、数千万年の時間のなかで、原猿類の食性(80~90%動物食)は、類人猿の食性(80~90%植物食)へと変化した。
この進化の歴史の中に、私たちヒトの食性が定まっており、これが快い食事の法則なのだ。ガン病者が、肉、乳製品、砂糖、油ものを止めた途端にめざましい回復に向かうことは、当然のことだ。味覚的にもこれが本当に美味しいものだということが分かれば、しめたものだ。また地球環境の改善も、ヒトの食の快法則を、見直す他ないこともお分かりだろう。
私たちの食事指導の一部を書いておこう。これは東北大衛生学教授故近藤正二の長寿村の調査(50年にわたって1000の村落を調査した)を土台にしたものだ。
1) 未精白の穀類(米、麦、あわ、ひえ、そばなど)、豆類を多用する。
2) 野菜を多種類、多量に摂る。 1日最低500g
3) 海草類を多用する。
4) 小魚類。肉は、(トリ、ブタ、ウシ、ヒツジなど)どうしても食べたい時のみ少量は可。
※朝は青汁や人参おろしのみで、昼と夕に上記のものを食す。冷たいものや生の魚介類はできるだけ摂らない。調味料は自然のものを使う。
※病気の場合は週1日~3日青汁、人参おろし、果物、自然塩のみにする。(ソフト断食)
重心移動安定の法則
ヒトの重心は第2仙椎前方6~7?腹部丹田の奥にある。
☆ 曲げる時には、伸ばす方へ重心を移す。(前後屈、左右側屈)
☆ 回す時には、回す軸に重心を移す。(左右回旋)
☆ 伸縮は同側。右手を伸ばす時は右足へ重心を移す。
いつもワクワクした快いことを考える。嫌なことや不快のものから、うまく逃げて、やりたいことを思い切りやる。運命は想念の方向で決まる、と言われる。だから嫌なことは考えずに、いつも快いこと、自分のやりたいことだけを考える。それを口に出して口ぐせにする。
嫌なこと、不快な想念にとらわれた時は、ニッコリ笑って、ふーっと息を吐くことだ。
積極的にため息をつくことだ。腰をまわし、腹をねじって、不快な想念を引っぺがし、吐き出してしまうことだ。
大事なことは、快の両義性(二面性)に注意すること。取っつきは、いかにも優しくて、おいしそうで、気持ちの良いものでも、生命の破滅に向かう道がある。
一方、取っつきにくく、嫌なもの、まずそうに見えるものでも、本当の意味で、生命を救ってくれ、生命を充実してくれる方向がある。これを見抜くことだ。
もっとも重要なことは、自分がやりたいことをやるためには、相手にもやりたいことを、やらせることだ。でないと普遍性も論理の一貫性もない。
相手のやりたいことに、損害を与えない範囲で、自分のやりたいことを思い切りやって生きていく。これが正しく生きる、天道にかなった生き方だ。やりたいことだけやって善く生きることと、相手のやりたいことに考慮を払って、正しく生きることの違いを、しっかりと認識することだ。
相手とは人間だけではない。あらゆる生き物の、善く生きたいとする行動に、損害を与えない、万類共生共楽の生きる道を、探し求めていくことだ。
快方向を探して、不快なところから逃げ出す。変えられる環境は変えてみる。休職、転職、転校、引っ越し、家出、別居、結婚、離婚、旅行。
しかしどんな人でも、地球環境から逃げ出すわけにはいかない。地球環境を快いものに変えていく。まずは、自分の住んでいる家や街、通っている学校や職場を快い、気持ちの良いものに変える。
各人それぞれの、利用可能な資源量の上限を決める。生活の質、快適さの質を考え直す。
自己の全ての細胞が、欲している気持ちよさとは何か。生きとし生きる、全ての存在(生物全体社会)が欲している気持ちよさとは何かを考える。
私の治療現場であるウリウ治療室には、近代医学を経て来診されて、現在通院中のガン病者の方が500名ほどになる。他は自己免疫病、アトピー性皮膚炎のひどいものなどで、これらの病者との交流から、現在の治療法が出来上がってきている。
まず近代医学では問題にしないが、ガン・難症病に重要な影響をもっているものをあげておく。
1) 吸虫類とイソプロピルアルコール(以下、IPA)
カナダの女性生化学者で自然医学者であるハルダ・クラークが提案している。IPAが体内に蓄積して肝臓などの解毒能が低下して肥大吸虫、大平肺吸虫、ウェステルマン肺吸虫、異形吸虫などの成虫や卵が、肝臓に侵入すると、ガン増殖因子がつくられるという仮説である。
イソプロピルアルコールは、現在シャンプー、化粧品の溶媒や消毒用などあらゆる分野で使われている。近代医学を経て見えるガン病者の95%以上に、このIPAと吸虫の反応がある。つまり近代医学は、ガン発症の基盤に手をつけてはいないということになる。これは由々しい問題だ。
ウリウ治療室では、この問題に気づき、IPAと吸虫の除去を病者に指導するようになってから、ガンの押さえこみは、それまでより以上に可能になったといえる。
2) ウィルス感染とくにヘルペス・ウィルスグループと人類の病気。
ガンはウィルスが引き金になっていることは、近代医学でもわかっていても、あまり問題にしていない。
予想をはるかに越えて、あらゆる痛みや発ガンにとくにヘルペス・グループが大きく関与していることを、医療関係者は真剣に考え直す必要がある。
尿とプロポリスの組み合わせが、強い抗ウィルス抗菌作用のあることを、人類65億が学べば、人類の苦痛は大きく軽減するはずだ。多くのエイズ病者も救われるに違いない。
3) 甲状腺の機能障害。
とくに女性の更年期障害やウツ症には重大な影響がある。心と体の不調和の大きな原因のひとつだ。
4) IgA腎炎と自己免疫疾患。
喘息や難治症のアトピー性皮膚炎や自己免疫病の病者には、IgA腎炎の存在がある。近代医学がつかんでいる以上に、広く深く潜在している事実を、ぜひ知ってほしい。
以上4つの問題が、近代医学でも真剣に考慮され、医学教育と治療の場に生かされなければ、人類の苦痛が軽減することはない。
生命の快法則を全人類が学び合い、快法則にしたがった快い生活をすることになったならば、どのような世界になっていくことか、想像は容易につくことだろう。
食事の改革ひとつ考えても、人類が肉食を止める方向に歩み出せば、エネルギー消費はガラリと変わり、森林の破壊は止み、炭酸ガス濃度は減少に転ずる。
それと同時に子供達に「生命の快法則」を伝え、大脳皮質の連絡網が出来上がる10歳頃までに、生命の快法則を体得させることが、教育の根幹であるとの認識に全人類が到達すれば、このための社会的教育システムを確立することが、人類最大の仕事になるだろう。
人生の快方向をキャッチできる、生命の快法則という羅針盤を手にして、人生航路へ乗りだしていく子供たちには、もはや戦争、虐殺、差別は無縁のものになるはずだ。
主要参考文献
『安藤昌益全集』(農文協) 伊藤真愚『東洋医学の智恵』(相樹社)
太田龍『中江藤樹 天寿学原理』(泰流社) 太田龍『水野南北 観相道と天寿学』(泰流社)
日本の名著『中江藤樹・熊沢藩山』(中央公論社) 貝原益軒『養生訓』(講談社学術文庫)
酒井シズ『病が語る日本人』(講談社) 水野南北『南北相法』(緑書房)
光岡知足『健康長寿のための食生活』(岩波アクティブ新書)